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-Sample-

 とりあえず、後はこの年上の従姉の機嫌を如何に損ねないかが問題だが……女って奴は本当によくわからねぇ。
「ところでアッシュ。まだ終わりませんの?」
「…何がだ?」
「あれから小一時間ぐらいはゆうに経ちましたわ。今やっている項目が終わったら一段落するから、それまで待てと仰ったのは貴方ではなくて?」
「……あ」
 言われてから気がついた。そういえばそんな話だったような…。その項目は、とっくのとうに終わって、次の項目に移っていた。
「…アッシュ……私、嘘つきは嫌いでしてよ。せっかく私自ら足を運んだというのに何ですのその体たらくは!夢中になるにも程がありますわ」
 声を荒げて、怒りながらこちらに歩み寄ってくる。足音は絨毯の毛に吸い込まれて消える――はずが、どんどんと響いてきた。まずい、怒らせちまった……。
「アッシュ!」
 どん、と強く机に手を置いた――というよりは、机を叩いたと言ってもいいだろう。俺はその振動でインク瓶が倒れやしないかとハラハラした。
「私をないがしろになさって…酷いお方ですこと!どうせ夢中になるのなら私に夢中になりなさい」
 それは流石に論点がおかしくないか?
「貴方がそのつもりなら私にも考えがありますわよ」
「…考え?」
 ぷんぷんと、怒りを露わにしたナタリアの考えとは――
「帰ります!もう貴方なんて知りません!」
 そう言って、踵を返して俺に背中を向けた。安易といえば安易だが、これ以上の考えはあるまい。
 慌てて、「待て」と後を追う。ナタリアがドアのノブに手をかけたところでその肩を掴んで強引に引っ張った。するとお約束のようにナタリアはバランスを崩して――
「きゃあっ」
 そのまま、俺の胸に崩れ落ちる。
「そ、そのように無理強いなさるのはいかがかと存じますわ!私……あ……」
 俺の胸に縋り付くように、ぎゅうとその手で俺の胸元を掴み、そのまま上目遣いに俺を見やる。が、そこまではいい。最後の「あ」はなんなんだ。
「……アッシュ……」
 崩したバランスを立て直して、まっすぐに立つナタリアの目の高さは俺のそれとそう変わらない。いや、ヒールの高さを考えると……そんなことは、置いておく。考えないことにしよう。それはナタリアの胸の大きさと同じで、きっと考えなくてもいいことだ。本人にとっては重大だが他人にとっては取るに足らない問題でしかない。俺の身長が低いのではなく、ナタリアが伸びすぎたんだ。あの時は遠くからだったからわからなかったが、ユリアシティで隣に並んだときは、さすがにナタリアの背を追い越したと思っていたのに……――と、そんなことはどうでもいい。今は目の前のナタリアの損ねた機嫌をいかにして元に戻すかが問題だ――と思ったら、その方法は当の本人…ナタリアの方から提示された。
「私に口付けなさったら許してさしあげてもよくってよ」
「っ……」
 流石に、返答に詰まる。
「さ、いかがですの? ――それとも、私に口付けもしたくないほど私への貴方のお気持ちは冷めていらっしゃるのかしら?」
 最後の方は、少々声色に棘を感じられた。ようするに、誠意を見せろということなのだろう?そこまでしないと俺の気持ちを信用してもらえないのだろうか――とはいえ、このまま機嫌を損ねたままでいられるのも問題だ。相手から譲歩策を提示されたのだ。おとなしくそれに応じよう。
 向かい合うナタリアの頬に手を添えて、そのまま顔を近づける。
「アッシュ」
「?」
「頬やおでこにお逃げになったら私、許しませんわよ」
「わかってる」
「あ……」
 ――唇が重なった。ほんの一瞬。それはきっと、一秒にも満たない時間。だが確かに重なったその一瞬、相手の唇の感触がはっきりと伝わってきた。
「――機嫌、直ったか?」
 そう問うと、
「い、いいえ……」
 と、予想外の返答が。おい、ちょっと待ちやがれ。
「……許すって言ったのはなんだ?嘘か?嘘つきは嫌いなんじゃねぇのか?」
「私は『許してさしあげてもよい』と申し上げましたの!この程度じゃ許してなどあげませんわ!」
 なんて屁理屈を……。子供のように駄々をこねて、いったい俺に何を求めているのか。普段ははきはきと大の大人と渡り合っているくせに。大体おまえ、連日の公務で疲れてるんじゃねぇのか?俺のところになんか来てる場合か?第一理不尽じゃねぇか。俺にはいなくても来いって言ったり自分はわざわざ来てやったと言わんばかりだし、俺はお前の公務の邪魔をしないようにと思っているのにお前は平然と俺の仕事の邪魔をするのか?俺は昨日から寝てないんだぞ。ああ……そういえば寝てないんだった。徹夜が祟ってか……眠い。だがここであくびの一つでもしてみろ。ナタリアに罵倒されるのが目に見えている。眠いだなどと言えば、「私がわざわざこうやって赴いているのに私を置いて眠り呆けてしまいますのね?!」…などと言われてしまうことだろう。
 如何にすればこの機嫌を損ねたお姫様のご機嫌を取ることが出来るのか。ふざけんじゃねぇ。だいたいてめぇキスしたら許すって言ったじゃねぇか。これ以上俺にどうしろっつーんだよ!
 ……これ以上……?
…って、何を考えてるんだ俺は。とりあえず、たまにはナタリアに説教を仕返すのも手だろう。
「ナタリア」
「何かしら? 弁明や言い訳など聞きたくありませんわよ」
「お前、俺が今何をしてるかわかってるのか?」
「わかっております」
「なら…」
「今すぐ終わらせなければいけないことではない、と貴方は仰ったではありませんか!一区切りつくところまで待てと仰いましたわよね?ですのに――約束を違えたのは貴方の方ですわ。私だって貴方のなさっているお仕事が急を要することで期限まで時間が無いと言うのなら私だって我慢して帰りますわ!ですが貴方が待てと仰ったのにこの体たらく……私、折角貴方のために時間を作ってこのように参りましたのに、このような扱いを受けるなど……憤慨してもしたりませんわ!貴方は私となかなか会う時間さえもとれなくて寂しいなどとはお考えになりませんのね!」
 ……逆に説教されてしまった。いや、確かに夢中になって進めてしまったことは俺が悪かったが……。
「貴方のお気持ちはよ〜くわかりましたわ。私、やっぱりもう帰りますわ!」
 むぅ、と唇を尖らせて、ナタリアは俺から顔を背ける。
「ナタリア!」
 ナタリアが完全に背中を向ける前に、そう名前を叫ぶと――ナタリアは一瞬びくっ、として……今にも泣きそうな顔でこちらを見た。
 待て。
 泣くようなことを俺がしたのか?
 思わず涙目になってしまうほど俺は今強く名前を呼んだか?
「……アッシュの馬鹿」
「…は?」
「どうして貴方はそこで気の利いたことができませんの?!」
 気の利いたこと…と言われても。何をしていいのか皆目見当がつかない。だいたい、して欲しいことがあるのならはっきりとそう言えばいい。
「見損ないましてよ」
「……」
 ナタリアの視線が冷たい。どうやら、このお姫様の機嫌はそうとう頑固なようで――俺には解決策が見当たらなかった。
「帰ります。やることはた〜〜〜くさんありますから!」
 ふい、と背中を向けてドアを開けて――どんどんと床を響かせてとうとう出て行ってしまった。それはもうすさまじい勢いでドアを閉めていきやがった。おい、壊すんじゃねぇぞ。
――なんだ、やることがたくさんあるんじゃねぇか。やっぱり俺の所に来ている場合じゃなかったんじゃねぇのか?
 それなら、俺もおとなしく続きをやろう。……それとも仮眠でもするか。いや、今の一連のことで目がさえてきた。もう少し頑張ろう。
それにしても気難しいというか、我侭というか…。ガキん時から本当に俺はナタリアに振り回されっぱなしだな。
だがそんな日常も悪くは無い。とても平和で、とても優しい。
だが、あの年上の従姉の機嫌を損ねっぱなしというのも問題だ。
後で解決策をなんとか見出して機嫌を直さなくては……。
そんなことを考えながら、俺は椅子に座って、再びペンを握った。
全く……今日は厄日だ。

++Under the Cold Rain-Sample-

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